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Antithese / 前編 |
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夕暮れの河原は、夏が終わったせいか静かだった。さらさらと、柔らかい風と川のせせらぎと時間だけが夕暮れの合間を流れている。 「……帰ろうよ、レオ」 「じゃあ先帰ってろよ、お前。オレはまだここに居る」 三角座りしていた足元の小石を一つ掴んで、レオは立ち上がった。下からすくうようにして投げたそれは、水の上を二、三度跳ねて、沈む。 「……お腹すいたでしょ? オムライス作ってあげる」 「すいてないし、いらない」 「何でそんなに怒ってるの?」 「怒ってない」 「嘘だ、怒ってるよ。レオがオムライスいらないって言うのは、怒ってるからだよ」 無言でレオはもう一度足下の小石を掴む。そして、投げた。 今度は一度も跳ねずに、小石は川の中に飲まれてしまった。 「……クラスの男子が、お前はオレのこと本当にスキって訳じゃないって」 決して後ろで自分を待っている幼馴染みを振り返らず、何も浮かび上がらない川面を睨み付ける。 「お前は親に言われて、オレと結婚するだけなんだろって。許嫁ってそういう意味だって、言われた」 学校は楽しい。あの橋の向こうにある、広い屋敷でただ息を殺しているより、その隣の幼馴染みの家で幼馴染みと遊んでいるだけよりも、世界は広がった。 そして世界は広がった分、狭められる。子供は無限だった外の、物事の高さを知り、限界を教えられ、自分の世界が自分の思う通りではない事を悟る。 「……誰が言ったの? そんなこと」 「誰だっていーじゃん」 「私は、レオのこと好きだからお嫁さんになるって決めたんだよ。許嫁って、結婚してもいいってみんなが許してくれてるってことでしょ?」 自分もそうだと思っていたし、許嫁はそういう関係だと思っていた。自分達が仲良しで、だから大きくなったら結婚してもいいという約束。 相手から全く同じ回答が返ってきた事に安堵を覚えつつも、集団生活に放り込まれる事で芽生えかけた意地や頑なさは、反発を口にした。 「おじさんオレのこと、嫌いじゃん。結婚なんて駄目っていっつも言ってるし、オレにかぐやはやらないって」 「お父さんはどうでもいいよ、レオにヤキモチやいてるだけだもん」 「……。お前はオレのことスキじゃないって言ったヤツ、お前のことが好きなんだって」 「私、そういうこと言う男子、嫌い。ねえレオ、もう帰ろ。宿題だってあるし、晩ご飯だって準備しないと駄目だし」 一分の隙もなく即答で一刀両断し、些細な事だと流してしまった幼馴染みに呆れと優越感を半分こにして、レオはようやく振り向いた。 「オムライス作るのか?」 「作ってあげる。おっきいの」 無言で、傍らに置きっぱなしだったランドセルを背負った。土手を上り、首を巡らせればすぐ見える、石造りの立派な橋を渡ってしまえば、もうそこから火ノ宮家の領地だ。 そこへと歩き出す前に、レオは歩き出そうとした幼馴染みの手を取って、引き止めた。 「約束しろよ」 「オムライス?」 「そうじゃなくて、ちゃんとオレと結婚するって」 当たり前にずっと傍にいる幼馴染みが、生まれた時からの許嫁だという意味が、レオにはまだよく分からなかった。だからちゃんと、と強調した部分が一体何を意味しているのかも、良く分かっていない。ただ、それが大切なのだと、子供という無垢な目線で知っていた。 「わかった、いいよ約束する」 「絶対だぞ。後から嫌だって言うなよ、約束なんだから」 「うん。私はちゃんと、レオのお嫁さんになる。ずっと一緒にいるよ。指切り」 真面目に頷いた後で、カグヤは小指をレオに突き出した。カグヤの手を放し、レオはその手の小指でカグヤの小指を絡め取る。 昔の約束。 幼かった頃からこその誓約。 忘れることも思い出すことも覚えていることも、自分達だけにしかできない。 どうやら久し振りの明るい催しは、成功しているらしい。打ち上げだから、お酒も無礼講だ。ちょっとアルコール混じりに交わす会話は馬鹿馬鹿しくて愉快だ。反面、先程のように先輩が他ランクの子に絡むといったトラブルも起こるが、それはそれでご愛敬だろう。 合同捜査本部の捜査官達と挨拶を交わしながら、生き残った同期達と談笑しながら、久し振りの時間を堪能した。ロゥもいつもの気難しい顔を綻ばせて、同僚達と話をしている。 「レオ、右腕はどう?」 一息吐いた所で更に大量に盛ったご馳走を頬張っていたレオは、柔らかい声に振り向く。栗色の柔らかい髪をいつもの形に結い上げた、制服姿の先輩がそこには居た。ごくんと噛みもせずにスペアリブを飲み込んで、レオは笑う。 「もー殆ど平気っすよビナ先輩。ご心配おかけしましたっゼス先輩の事もあんのに」 「あら、心配するのは良いのよ先輩の仕事だもの。でも本当に平気なの? カグヤちゃんが自分のマッサージから逃げ回ってるって怒ってたわ、この間。リハビリはきちんとしておかないと駄目よ、ただでさえ吸血鬼の回復の仕方には計画性がないんだから」 先輩に注意された気まずさと幼馴染みに晒された醜態に、レオは顔を顰めて言い返す。 「あいつが大袈裟なんすよ、それは! もう包帯取れて一ヶ月もたってんのに、まーだリハビリだマッサージだって。全然ふつーに動いてるのにさー。リハビリとかマッサージの資格持ってるんだか何だか知らねーけど」 「Sランクの女の子は大抵持ってるのよね。色々役立つ資格だから。でもゼスは私にまだマッサージしてくれってしつこいのに、レオは対照的ね。逃げ回る気持ちは分からないでもないけれど。もう右腕は動くんですものね」 「……」 穏やかな先輩の意味深な言い回しに何かせめて一言と一瞬迷ったが、レオは聞き流す事にした。 「ゼス先輩の方はもう体調万全なんスか?」 「もう少しかかるわね。通院は終わったけれど、まだ体調を崩しやすいわ。まぁ仮病の可能性もあるけれど……本人に聞いてあげないの?」 「……ゼス先輩、心配したらすぐチョーシ乗るし。オレ、まだ怒ってるしこれでも」 「そうね。それはレオが正しいわ」 我ながら子供っぽいと思う態度にビナは理解を示してくれる。それは、ビナも相当腹を立てているという事だ。長い付き合いだ、それくらい分かる。 「ゼス先輩、ますますビナ先輩に頭上がんなくなったなー」 笑い混じりにレオがそう言うと、ビナはしみじみと頬に手を当てて嘆く姿を装う。 「そうねぇ。私としては、威風堂々とした男の人が良いんだけれどおかしいわね。どんどんかけ離れていくわ。もう吹けば飛んでいきそう」 「ビナ先輩に頭上がる男なんかいねーよ、てっ」 「こら、生意気よ? レオだって、カグヤちゃんに頭が上がらないんでしょう実は」 「ンな事ねーっすよっ何でオレが」 「火ノ宮捜査官」 額をつんと人差し指で突かれからかわれて、むくれかけたレオとビナの間に可愛らしい声が割って入る。遠く聞き覚えのある声に、レオは振り向いた。 視線は、レオの胸辺りの高さだ。見覚えのあるようなないような顔が、にこっとレオに笑いかけた。 「お久し振り。……アリアン捜査官も、お久し振りです」 「あ……あぁ、えっと……うん、久し振り」 名前が出てこない相手に焦りながらも、レオはまず挨拶を返す。ビナも穏やかに口を開いた。 「お久し振りね、リリナちゃん。二年ぶりくらいかしら」 ああそんな名前だった。密かな助け船に気付きつつ、レオもそれに便乗する。 「はは、そっか二年ぶりか。一瞬分かんなかった」 「もう、相変わらずだなぁ。でも、髪も伸びたし仕方ないかな。階級も変わったし」 「あら、本当。Bランクに上がったのね。今回の捜査本部に加わってたの?」 ビナの質問にレオは先に胸の内で答える。それはない。今回のフォンの事件を担当する捜査官達は、入れ替わりと情報漏洩の危険から徹底的に吟味した捜査官達だった。彼女はそのリストに上がっていない。――だがこの打ち上げは、結局フォンの事件がヴァンパイア特務機関全体を巻き込んだ事もあって、参加者を限定していないのだ。 「いいえ、私は違うんですけど……その、今の彼氏が。同じBランクなんですけど、担当捜査官で」 「あぁ、それで一緒に?」 「はい、来月結婚するんです私!」 「まぁ、おめでとう。じゃあ今は忙しい時期ね」 明るい報告にレオは目を瞬き、ビナは全く動じずに会話を進めた。 「そうなんですよ。本当はやっぱ六月に憧れてるんですけど、そうなると来年だし何よりこの間みたいな事件がまたないとも限らないでしょ。だったらもう早くって思っちゃって……彼氏っていうかもうフィアンセ? アタッカーなんですよ。だからもう、あんな風に待ちたくないなって」 「VIAのアタッカー捜査官はいつどこで怪我をするとも限らないものね」 「そーなんですよね。私、待つってのがどーも苦手みたいで……って火ノ宮捜査官、何か一言ないんですかー元カノが結婚するんですよー?」 悪戯っぽく見上げられたレオは、慌てて笑顔を作り、祝辞を述べた。 「あぁワリ、何か吃驚して。おめでとう。十月だったら良い季節だよな」 「うっわどうでもよさげ。ってどうでも良くなかったら困るか、あはは。……でも考えてみたら意外な展開かも、私が結婚とか。それに火ノ宮君って結婚願望強い方だと思ってたから、絶対私より先に結婚するだろうなーって思ってた」 「え――あ、あぁ、まぁ……夢っつーか、ネタみたいなモンだしあれは」 曖昧にレオは笑い返す。確かに、結婚願望――正確には普通の家庭というものに、レオは憧れが強い。一軒家で子供はできれば男の子と女の子二人、犬か猫かペットも飼って、料理上手な優しい綺麗な奥さんと一緒に、家族みんなで仲良く暮らす。典型的な幸せ家族の願望だが、意外と周囲の男友達からは共感を得る事ができたりしている。 そんなレオを、元彼女は下から意味ありげに覗き込む。 「何かまだ、押しに負けては付き合ってすぐ愛想尽かされてを繰り返してるって噂では聞いてるけど、そんなんで大丈夫なのー?」 「え!? いやだって、ここ半年くらいは誰とも付き合ってなんかいねーし」 「そりゃアレでしょ、仕事で忙しかっただけでしょー」 「それはその通りね」 「ビ、ビナ先輩まで……フォローなしかよっ」 ビナと二人、勝手に女達に笑われたレオは釈然としないまま口を噤んだ。だが笑った後で不意に、女は口調を変える。 「でもね、火ノ宮君。待てなかった私が言うのは言い訳みたいだけど、駄目だよ色々ちゃんとしなきゃ」 「色々ちゃんとって……」 「守るつもりがない約束とか、しちゃ駄目。デート何回反故にしたか分かってる? ただ待ってるだけって辛いんだよ。ずっとそんな態度だから誰とも長持ちしないまんまなんだよ。女の子は男よりずっと現実的なんだから。火ノ宮君、何で私にフラれたのかも覚えてないでしょ」 「大丈夫よ、レオはきっと苦労するから」 一方的に諭され呆れられ内心むっとはしたが、ビナが上手く間に入ってくれたので表には出さなかった。レオの曖昧な笑みにはあっと大袈裟に溜め息をつきながらも、その場は笑い話で流れる。そして彼女にはお幸せな事に、婚約者から声がかかって、その場はまたレオとビナの二人きりになった。 「……何なんっすかねー一体……」 「マリッジブルーでも入ってるんじゃないかしら? 私は幸せって確認したかったのよ。あれくらい、見逃してあげなさい」 「へーい……」 彼女を呼んだその婚約者に一瞬、嫌な顔をされた気がしたが、ビナの一言にその理不尽さも飲み込む。 「ところでレオ。別に彼女の話で思い出した訳ではないんだけれど、カグヤちゃんのこと」 嫌な話題の切り替え方に、レオが顰めっ面を返す。だがビナは全くそれを介さずに、話を続けた。 話を聞いたレオはふぅんと相槌だけを返す。はた迷惑な事に、だから誰とも長続きしないのだというついさっきの余計な注意が、脳裏を掠めた。 |