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Aufheben |
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オーブンの中身を確認してから、エルはドリッパーを取り出した。まだまだ外は暑いが、エアコンの効いた室内ではホットコーヒーでも問題ない。折角の休日、しかもあのうるさい子供は居ない。生地から用意したアップルパイを焼く気になったのもそのおかげだった。ゆっくりと静かに過ごす午後のティータイムを、エルは日差しの差し込むリビングで過ごす事にする。 硝子のテーブルの上には、先程ポストに投函された郵便物が並べてあった。既に中身は仕分けてある。どうでもいいようなダイレクトメールや封書には目もくれず、エルはよけてあったものの一つをまず手に取った。 コバルトブルーの、レースのようにカットされた封筒の入り口は黒猫の蝋で閉ざされている。いつものレターセット、いつもの装丁だ。ペーパーナイフを差し込み、オニオンスキンペーパーの便箋を取り出した。封筒と同じ、コバルトブルーの縁取りがある上品な便箋は綺麗に真ん中で折り畳まれていたが、何枚も重ねられているので随分と重い。今回も力作だな、とエルは微かに笑う。 ペーパーナイフの代わりにコーヒーカップを持ち、一口飲む。それから、改めて手紙を開き、ソファに腰掛けて、ゆっくりと一枚目に目を通し始めた。 今日の晩ご飯はエルが作ってくれる。自分で考えた仕事の予定もしっかりこなせた、レオとロゥのお墨付きだ。クァン部長にはまた今度クウが隊長で仕事をしてもらうからねと言われた。頑張らないといけない。それに今日は、カグヤとお弁当の交換もした。たまには自分以外が作ったお弁当も食べてみたいねと意気投合したのだ。アリスがその時持たせてくれた焼き菓子は二つ、エルと一緒に食べるつもりで持って帰ってきている。アイアシュッケというドイツのベイクドチーズケーキらしい。今日のデザートにする気満々だった。 ただいまと、エレベーターも使わず階段でマンションを駆け上がったクウは、元気良く声を上げた。エルはリビングで、コーヒーを飲みながら相槌を返してくれる。 「エル、おなかすいたー! 今日はエルが作るんだろ?」 「まず手を洗ってこい。話はそれからだ」 エルの言いつけ通り、クウは洗面所で手を洗う。それから急いで台所へと戻った。先程からずっと良い匂いがするのだ。 「……アップルパイだ!」 台所で燦然と輝くそれに、クウは目を輝かせる。エルが素っ気なく答えた。 「それは明日だ。つまみ食いするなよ、そのまま持って行くんだからな。今日はカビネット捜査官にもらったケーキがあるんだろう」 「オレ明日、絶対食べる! レオとロゥにばっかあげちゃ駄目だぞエル!」 釘を刺すクウに、エルは何も答えなかった。クウには大問題だ。ロゥはともかく、レオは大食らいなのでその気になればアップルパイ一つくらい軽く平らげてしまう。とはいえ、レオはエルがクウにと言わずとも必ず分けてくれる。ただしたまに行き違いがあるので注意せねばならない。レオに予めメールを送っておくのが得策だろう。 「それで、晩ご飯は……グラタンだ、やったー!」 「こっちで大人しくしてろ。準備する」 既に準備されている耐熱用の皿と用意されている具材から今夜のメニューを当てたクウと入れ違いに、エルがリビングから立ち上がる。ご機嫌でクウは大人しく台所から去った。エルは料理を一人で作りたがる。どうやら調理中に勝手に手を出されたくないらしい。 リビングに戻ったクウは、テレビでも見ようかなとテーブルに目を向けようとして、ソファとテーブルの間に何かが落ちている事に気付いた。便箋だ。いや、手紙というべきだった。折り目のある変わった手触りの便箋には、びっしりと手書きの文字が書かれている。 まず、クウは辺りを見回した。誰かの手紙なら、封筒がある筈だ。だが硝子のテーブルにはダイレクトメールや電気代の利用明細書はあっても、手紙の封筒らしきものは見あたらなかった。首を傾げて、今度は便箋に目を落とす。 出だしの文章は三文字で切れていた。恐らく、前からの続きなのだろう。改行された次へとクウの目が動く前に、便箋の角にある数字が飛び込んできた。その数字にクウは思わず顔を顰める――その数字は十一だった。 まさか、十一枚目という意味か。 (何だろ、これ) 首を傾げながらついつい、目を便箋に落としてしまう。黒いインクで書かれた文字は綺麗だったが、所々に丸みがあった。 ――逆さま死体はとっても良いと思います。池に突き刺さっているなんて素敵です。 ぎょっとしたクウはそのまま読み進めてしまう。 ただちょっと無理矢理じゃないかなって思いました。分かりづらいのは良くないです。無理をせずに、斧で殺しておけば良かったんです。首の辺りに半分くらい斧を食い込ませて、首を半分かくんって折っておけば斧に見えるんじゃないかな。でも、形を考えたら脇辺りの方が良いかもしれない。でも、脇を斧で折ったらどうなるんだろう? 何が良いのかさっぱり分からないし、どうなるんだろうじゃない。新手の犯行予告か何かだろうか。 壁にぶち当たったような顔で、クウは手紙に食い入る。 でも、やっぱり生首は迫力がありますね。周りを怯えさせるには適切な方法だと感じます。飾っておくだけでもいいけれど、菊人形の首を切り落としてからの方が、もっと怖かったのに。琴は首を締めるのに使えるんですね。初めて知りました、勉強になりました。 ただ、もっといっぱい死んだ方が良かったんじゃないでしょうか。それに、一番安全な密室殺人 よりにもよって、手紙はそこで途切れていた。 「……何だこれ」 ちょっと手紙を遠く離して、クウは顰めっ面をする。見かけは普通なのに、中身が奇妙な手紙をまじまじと見つめた。 (……通報した方がいいかな。捜査?) だが一体どういう風に、誰を――そう考えた所で、飛び上がる程大きくインターフォンの音が鼓膜を打つ。 「クウ、お前が出ろ」 「わっ分かった!」 台所からのエルの指示にクウは慌ててテーブルに便箋を置いて、玄関へ駆け出す。 宅急便のお兄さんに判子と言われ、また慌ててリビングに戻って、玄関へ行って、クウには少し大きな段ボール箱を抱えてリビングへと戻ると、エルがリビングのソファに腰掛けていた。 「何の荷物だ」 「え? えーっとね。通販会社からだって。……子供服……?」 エルに問われ、改めて伝票を見たクウは頬を引きつらせる。そうか、とエルは事も無げに返事をした。 「グラタンができるまで時間があるな」 「嫌だよ! いらないって言ったじゃん、なのに何でまたこんな段ボールいっぱいに買うんだよエルの馬鹿!」 「誰が馬鹿だ。いいからさっさと」 「やだー! ぜったい絶対やだっ!」 クウは段ボール箱をその場で放り出し、慌てて自室へと走る。横切ったリビングの光景の中に、硝子のテーブルの上に、灰皿とリモコン以外何もない事に気付いた。あれ、と足を止めかけて、エルを見ると、エルは段ボールを開封している最中だった。 ぞっとしたクウはそのまま何も考えずに自分の部屋へ飛び込む。鍵はかけられないが、棚を移動させて扉を封じた。まだ追いかけてくる気配はないが、このままで済むとは思えない。 (折角折角、今日は良い日だったのに!) エルとあの変な手紙のせいで台無しだ。憤慨したクウは、扉を封鎖した棚の前に背を預け、三角座りする。 「……変な手紙だったなぁ……何なんだろ……?」 でもとてもとても、楽しそうだった。誰かに想いを届ける為に一生懸命に綴られた手紙――内容はともかく。 そう言えばクウはああいう手紙というものを書いたことがない。もらったことも、ないような気がする。文字でのやり取りと言えばもっぱらメールばかりで、紙にしたとしてもプリントアウトだ。あんな風に、相手に話しかけるように、一文字一文字気持ちを綴った事が、クウにはないのだ。 手紙を書いてみようかなと、思った。ああいう手紙を書いてみたい。誰かに自分を伝えてみたい。だから話す方が早いような、近い人物では駄目だ。後、返事だって欲しい。そうなると相手はどうだろう。適切な人物は居るだろうか――そこまで考えて、クウは扉の向こうから漂う夕食の匂いに我に返る。 「クウ、グラタンができたぞ。食べたければ出てこい」 「……。グラタン食べたい」 「じゃあ出てこい。まずはグラタンだ」 「次は着せ替えだろ! ぜったいそれはヤだ!」 「旅行用に買いそろえたんだ。今度、行くんだろう。イギリス」 扉の向こうのエルに断固として言い張るつもりだったクウは、意外な返事に目を瞬く。 「気候が違うからな。準備が必要だろうが、バカガキ。その為に新調したんだ」 「そ……そうなの?」 旅行用、と言われると心が動いた。仕事が半分入っていると分かっているが、とても楽しみにしているのだ。それに、エルの言い分に連鎖してレオやロゥが会話していたのを思い出す――準備がどうとか、言っていた。ナイロンのジャケットかパーカーでも新調しとこうかな、そうレオが呟いていた。ロゥがその方が良いだろう、と答えていた事も。 「……」 「さっさと出てこい。お前、身長だって伸びただろう」 「――何着?」 「そういう問題じゃない、グラタン冷めるぞバカガキ。アイアシュッケがどうなってもいいのか」 エルはグラタンだけでなくアリスからクウがもらったケーキまで盾にする気のようだ。卑怯だと思いつつも、今回はエルの言い分にも理がある。渋々、クウはまたずるずると棚を元の位置に戻し、そっと扉を開いてみた。 エルが、両腕に既に服を数着引っかけて立っていた。 「……!」 「ようやく出てきたな。まずはこれからだ」 「グラタンは!?」 「後五分はかかる。一回くらいは着替えられるだろうさっさとしろ!」 驚愕している間にむんずと首根っこを掴まれ、引きずり出された。うわぁああんともはや叫ぶしかないクウに、エルが加虐的に微笑む。 「安心しろ、グラタンを食べた後はアイアシュッケは食べさせてやる」 「何でそんな偉そうなんだよ、自分がもらったんじゃない癖に!」 「じゃあおはぎ付きならどうだ」 「えっおはぎ?」 エルの作るお菓子は洋菓子だとばかり思っていたクウは暴れるのをやめて、きょとんとする。その間にどさどさと上から服が落ちてきた。 「まずはこれだ」 「……。おはぎ……エルが、作ったの? アップルパイだけじゃなくて?」 「食べるのは全部終わったらだ」 仕方なく一枚、上着を手にしたクウは、新品の服の匂いに顰めっ面をしながらも首を傾げる。 (おはぎって……久し振りだなぁナナコねーちゃん、元気かな) ナナコに手紙を書くのはどうだろうか。でも、住所が分からない。そして同時に思う――あの手紙は結局、一体何だったんだろう? 「おいさっさと着替えろ。おはぎナシにするぞ。アイアシュッケもだ」 「えっ駄目だからなそんなの! 折角もらったのに! ……でも何か、凄い、おやつ三昧だね。アリスねーちゃんのだろーおはぎだろー後はエルのアップルパイ!」 「そういう日もある」 そうかもしれない。 エルがずっと機嫌が良い本当の理由はきっとそこだ。 つまり――こういう日も、あるのだ。 >>>All Story END BACK:::[Synthese] /
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