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HappyBug / 01 |
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早朝の気温が肌寒く感じるようになってきた。 重い荷物を玄関に一度置いて、振り返る。わざわざ起き出してくれた両親と妹の顔を、迷わずに真っ直ぐ見た。 「それじゃあ、いってきます」 「お姉様……」 白いガウンを羽織った妹は、まだ顔色が良いとは言えない気がする。それを両親も心配している。 色白の妹を玄関の中へと押し戻すようにそっと肩に手をかける。華奢な肩から、ふわりとした髪から、花のような香りがした。 「だめよ、まだ寝てなきゃ」 体調を崩しやすく、一年の半分は床に伏せっている妹は、つい昨日も微熱を出していた。俯いた妹が、首を振って顔を上げる。 その笑顔は美しかった。ノルウェーの隠れ美姫。その名に相応しい、輝かしさがある――それは純血の吸血鬼の女という艶やかさを内包しながらも、晴れ間を思わせるような美しさだった。 そしてその美しさは、オピール家の恩恵から遠く離れ、跡継ぎの男子にも恵まれない傾くばかりのベルタ家を再興する力となっている。 「アドルフ様が心配するでしょ」 「それは……」 「そうよセシリア。今は大事な時期なのだから、もう入ってなさい。――アンナと最後のお別れではないのだから」 「でも、アーニャ姉様が日本に行ってしまわれるのに。私も空港までお見送りします」 「シシィ」 まだ体調は万全ではない。両親を含む周囲も心配している。だがセシリアがそうと願えば、何とかして両親は願いを叶えようとするだろう。だからこそ迷惑がかけるものではないという意味を込めて、きつめに愛称で窘めると、妹はむくれたが黙り込んだ。その華奢な肩を母親がそっと抱く。 裕福な資産や巨大な権力を持つ家の娘にも全く引けをとらないだけの美しさを備えかねていると、両親や親戚に期待されて愛されて育った妹は、甘やかされたせいか些か我が儘だ。だがそれも彼女の愛くるしさには違いない。事実、そんな風に周囲を困らせても、妹の評判が落ちる事など全くなかった。 そしてつい先日、ベルタ家の格と全く釣り合わない、スウェーデンでは一番オピール家に近いとされているダール家の次男から、妹は婚約の申込を受けた。最早オピール家の系列としてですら名の上がらないベルタ家にとっては破格の申し出で、両親も親族も大喜びしている。 アンナも、誇らしく、思っている。胸を刺すような痛みがないと言えば嘘になるけれど。 「メールするから」 「アーニャ姉様はドジですぐ書いたばかりのメールを間違ってけしてしまわれたり、送ったつもりで送っていなかったりするじゃないですか」 「う……」 「そんな姉様がヴァンパイア特務機関だなんて――怪我を、なさったらどうするの。アーニャ姉様はベルタ家の長子だけれど、女の子なのに」 「大丈夫よ。だってアドルフ様がいらっしゃるじゃないの」 それだけはきっぱりと答えて、顔を上げる。もう時間だ。タクシーも待たせてある。 ベルタ家はもう、大丈夫だ。アドルフが――セシリアが、居る限り。勿論、絶対安心という事はあり得なくても、少なくともアンナがここでできることはもうない。アドルフがベルタ家の婿入りになる形で家督を継ぐという話はまだ出ていないが、男尊女卑の吸血鬼の世界ではいずれそうなるだろう。そんな中、アンナがここに残り続ける意味は、あまりないと言えた。 荷物を持ち直すと、気を付けてという言葉がかけられた。 十五年ほど、過ごした家だ。思い出も愛情もあった。だが、吸血鬼は十五歳で成人とされる。来年十五歳になるアンナが自立し家を出る事は、何ら不自然ではない。 だから、振り切るようにして前を向く。 「いってきます」 「ちゃんと、戻ってきてねお姉様! ドジばかりなんだから、危なくなったらすぐ帰ってきて!」 最後まで心配する妹に笑顔を向けて、アンナは歩き出す。振り向かないと決めていた。 ここには居られないと嘆く程大袈裟な何かがあった訳ではない。それでも、振り向かない。 (かわりたい) 嘘、だったとは思っていない。誠実な言葉だった。だから、思い違いをした。恋などといった切ない部類ではなく、ただの子供じみた信頼のような、期待だった。 ――きっと妹さんよりも君がいいって言ってくれる人だって、いるよ。 (きっといるから、どこかに) 妹と違って美しさも器用さも可愛らしさもない自分には、幸か不幸かそこそこの学力と戦う力があった。それがますます妹との比較に使われた事は否めなかったが、その事実は、ヴァンパイア特務機関採用試験突破という形でアンナに恩恵を注いだ。 世界中に点在するヴァンパイア特務機関の中で最も実力が要求される日本本部というだけでなく、その中でアンナは更に上位ランクであるSランクに配属された。そんなアンナに驚いたのはアンナ自身だけでなく、周囲も同じだった。 ヴァンパイア特務機関Sランクの女といえば、聡明な美女が揃う、それこそ十三家に連なる直系男子が花嫁に欲しがる女達の園だと噂されている。美しさに勝る妹ならまだしも取り立てて何もないアンナがという、周囲の懸念は誰よりアンナ自身が感じているものだった。何かの手違いじゃないのかと、両親でさえ顔を蹙めた。親族からは間違いではないかと心配された。あり得ないという、陰口もきいた。 (大丈夫) きっとそこで、一番いい女になってみせる。 辿り着いた空港で、一つに縛るだけのゴムを解いた。何となくかけていると落ち着いた、黒縁の伊達眼鏡を外した。まとめてそれを、ゴミ箱に捨てた。 見返してやるだなどという、立派な発想があった訳ではない。ただ、そうしないと駄目な気がした。見ないように閉じた隙間から、醜い汚泥が入り込んで自分をいやなものに侵食してしまう気がした。そうなりたくなかった。だから必死だった。 そんな、寒い旅立ちの朝から一年半はあっという間に巡った。 そして初めての成績発表でアンナはSランク最下位という順位を叩き出し、そこで、生まれて初めて恋に落ちた。 初めて外見は可愛いが中身がつまらないと露骨に悪評され、物事の多角形さを実感し、気が付いたらそうなっていた。 恋をしたその相手には、好きな人がいた。その好きな人には、恋人が居る。 世の中はどうしたって上手く回らないものだ――それを、ヴァンパイア特務機関Sランク所属アンナ・ベルタ捜査官は、よく知っていた。 |